プロフィール
比叡山で七年をかけて千日の山道を巡拝する「千日回峰行」を、生涯に二度満行した天台宗の僧。四十歳近くまで職も家庭も定まらなかった人生の後半で、「一日一生」という言葉を平易な話し言葉で説き、著書は多くの読者に読まれた。
1926年9月5日、大阪に生まれた。のちに一家で東京へ移り、1941年に慶應義塾商業学校へ入学するが、学業は思うようにいかず、1944年、熊本県人吉の予科練(海軍飛行予科練習生)に入隊する。特攻隊に配されたまま出撃の日を待つうちに敗戦を迎えたと伝えられる。同年代の多くが死に、自分は生き残った——この事実は戦後の彼につきまとった。復員してからは定職に落ち着けず、飲食店を営んだり株の売買に手を出したりと職を転々としたが、どれも長くは続かなかった。三十代のはじめに結婚したものの、その暮らしはごく短く、妻は自ら命を絶っている。三十代の終わりに至るまで、彼の人生は「昨日」に押し潰され続けた時間だった。
転機は比叡山だった。1965年、三十九歳で得度し、天台宗の僧・酒井雄哉となる。遅い出発である。そして1973年、比叡山の「千日回峰行」に入った。これは七年をかけて千日ぶん、山道を歩いて堂社を巡拝する行である。歩く距離は年次によって変わり、初めの数年は一日およそ三十キロ、六年目は約六十キロ、七年目には京都市内をまわる「京都大廻り」の約八十四キロが加わる。そして七百日を終えたところで、「堂入り」と呼ばれる九日間の断食・断水・不眠・不臥が待つ。1980年10月に満行すると、半年後には二度目の行に入り、1987年7月、六十歳という史上最高齢で二度目を満行した。記録に残るかぎり、この行を二度満行した者は三人しかいないとされる。彼は天台宗北嶺大行満大阿闍梨・大僧正となり、比叡山飯室谷不動堂長寿院の住職を務めた。
晩年の酒井は、難しい教義の言葉ではなく、日常の話し言葉で語る人として広く知られるようになった。2008年10月に刊行した『一日一生』(朝日新聞出版・朝日新書)は、今日という一日を一つの人生と考え、今日の出来事は今日で終わらせて明日を新しく始めればよい、という考えを草履のたとえなどを交えて説いた一冊で、版を重ねるベストセラーとなり、続編『続・一日一生』も出た。「一日一生」という言葉自体は彼の造語ではなく、内村鑑三に同名の著書(1926年)があるように、仏教でもキリスト教でも古くから使われてきた言葉である。彼が加えたのは、その古い言葉を、一日ずつしか進めなかった自分の歩き方の説明として語り直したことだった。2013年9月23日、87歳で死去した。