プロフィール

『ゲゲゲの鬼太郎』で知られる漫画家、妖怪研究家。戦地で左腕を失い、復員後は紙芝居や貸本漫画で食いつなぐ極貧の時期を長く過ごしたのち、四十代で世に出て、九十三歳で亡くなるまで描き続けた。忘れられかけていた各地の妖怪を集め直し、日本の妖怪文化を現代によみがえらせた人物である。

本名は武良茂(むら しげる)。1922年3月8日、大阪市住吉区に生まれ、まもなく父の郷里である鳥取県境港へ移って少年期を過ごした。この町で水木家に手伝いに来ていた老女・景山ふさ——彼が「のんのんばあ」と呼んだ人——から、妖怪や死後の世界の話をくり返し聞かされたことが、後年の仕事の出発点になる。1943年、二十一歳で召集され、南方のニューブリテン島(ラバウル方面)へ送られた。1944年、マラリアで寝込んでいたところへ空襲を受け、左腕を失う。意識が朦朧とするなか、麻酔もないまま切断手術を受けた。翌1945年、彼が後方の傷病兵部隊で療養しているあいだに、所属していた部隊はズンゲンで玉砕し、大隊長以下多数が戦死している。生き延びたのは偶然だった。現地の人びとに助けられて敗戦を迎え、1946年に復員している。

帰国後、絵の道を志したものの生活のために断念し、紙芝居の絵描きとなった。神戸市兵庫区の水木通り沿いで「水木荘」というアパートを営みながら描いていたことから、のちのペンネーム「水木しげる」が生まれている。1950年代の末に貸本漫画『ロケットマン』でデビューするが、貸本の世界はまもなく斜陽に入り、質屋通いが日常という極貧の時期が続いた。1961年に飯塚布枝と見合い結婚。転機は四十代に入ってからで、1965年、『別冊少年マガジン』に発表した「テレビくん」で講談社児童まんが賞を受賞し、ようやく世に出る。1968年にはじまる『ゲゲゲの鬼太郎』のテレビアニメ化で一躍知られる存在となり、『悪魔くん』『河童の三平』などの作品とともに、消えかけていた各地の妖怪を絵と名前のある存在として世に呼び戻した。

もう一つの主題は戦争だった。自らは病と負傷で戦場を離れていたために免れた原隊の玉砕を、生還した戦友たちへの聞き取りをもとに描いた『総員玉砕せよ!』をはじめ、彼は英雄も美談も置かない兵隊の話を描き続け、戦後にも何度もかつての戦地を訪ねている。1991年に紫綬褒章、2003年に旭日小綬章を受章。故郷の境港市には1993年7月に妖怪の銅像を並べた「水木しげるロード」がつくられ、2003年にはその終点に水木しげる記念館が開館した。2010年には妻・武良布枝の著書をもとにしたNHK連続テレビ小説『ゲゲゲの女房』が放送され、貧しかった夫婦の日々があらためて広く知られることになる。2015年11月30日、多臓器不全のため九十三歳で死去。片腕を失い、長く売れず、それでも生涯を通じて描き続けた人だった。

水木しげるの名言一覧