プロフィール

「上を向いて歩こう」「こんにちは赤ちゃん」「見上げてごらん夜の星を」などの作詞で知られる放送作家・作詞家。難しい語を使わず日常の話し言葉で歌詞を書いた最初の成功者と評され、TBSラジオでは四十六年続いた番組の語り手として市井の人の言葉を拾い続けた。

本名は永孝雄(えい たかお)。1933年4月10日、東京・浅草(現在の台東区元浅草)の浄土真宗の寺・最尊寺に生まれた。少年期は戦争と重なる。1944年、学童疎開で長野県の国民学校へ移り、食糧難といじめを経験し、生家の寺は空襲で焼けた。疎開先で終戦を迎え、戦後に東京へ戻って早稲田中学校へ編入する。中学生のころからNHKのラジオ番組に投稿したコントが次々に採用され、作詞・作曲家の三木鶏郎に見出されて、早稲田大学在学中に放送作家としてデビューした。戦争で焼け出された寺の子が、焼け跡に残ったラジオという新しいメディアの側から仕事を始めたことになる。

1961年、作曲家・中村八大と組んだ「上を向いて歩こう」が坂本九の歌で世に出る。初演は同年7月21日、東京・大手町の産経ホールで開かれた『第3回中村八大リサイタル』、シングル発売は10月15日。永が作・構成を手がけたNHKの音楽番組『夢であいましょう』の「今月のうた」として全国に広まり、1963年6月15日付の米ビルボードHot 100では「SUKIYAKI」の題で週間1位、三週連続首位となった。日本語のまま全米1位になった曲は今もこの一曲だけである。中村八大とはほかに「こんにちは赤ちゃん」(1963年、歌・梓みちよ。第5回日本レコード大賞)「遠くへ行きたい」を、作曲家いずみたくとは「見上げてごらん夜の星を」「いい湯だな」を残した。いずれも、漢語や文語に寄りかからず、誰もが日常で使っている言い方だけで書かれている。

テレビが娯楽の中心になっていく時代に、永はむしろラジオと旅に軸足を移した。TBSラジオ『永六輔の誰かとどこかで』は1967年1月2日に始まり、2013年9月27日まで四十六年にわたって続いた長寿番組で、聴取者からの便りを読み、遠藤泰子との掛け合いで世相を語った。全国を歩いて職人や商人や高齢者の言葉を聞き集める仕事も続け、そこから生まれたのが語録の形をとった著作群である。1994年3月に岩波新書から出した『大往生』は、老い・病い・死をめぐる普通の人々の言葉を集めた一冊で、二百万部を超えるベストセラーになった。有名人の名言ではなく、名も無い人が口にした一言を書き留める——その姿勢は、歌詞を話し言葉で書いたことと地続きである。

2010年ごろにパーキンソン病を公表し、手も声も震えるようになってからもマイクの前に座り続けた。2016年7月7日、肺炎のため死去、八十三歳。残した歌は今も歌われ、とりわけ「上を向いて歩こう」は、震災や災害のたびに人々が口ずさむ歌として繰り返し立ち返られている。本人は励ましの歌ではないと言い続けたが、平易な言葉で書かれた二行は作者の意図を超え、六十年以上にわたって他人の一歩を支える言葉になった。

永六輔の名言一覧