プロフィール
やなせたかし(1919-2013)は高知県育ちの漫画家・絵本作家・詩人。従軍経験から独自の正義観を育み、69歳で国民的アニメとなった『アンパンマン』や童謡「手のひらを太陽に」を生み出した。
やなせたかし(本名表記・柳瀬嵩)は1919年2月6日、東京府北豊島郡滝野川町(現・東京都北区)に生まれ、まもなく父の郷里である高知県香美郡在所村(現・香美市香北町)に移り、叔父夫婦のもとで育った。1937年、東京高等工芸学校(現・千葉大学工学部の前身)図案科に進学し、卒業後は田辺製薬の宣伝部に就職する。1941年、22歳で軍に応召され、1944年には中国・福建省の福州に派遣されて宣撫班に配属された。紙芝居を使って現地の人々に日本軍への協力を説く任務に従事するかたわら、2歳下の弟・千尋を海軍で失っている。「正義とは何か」を問い続けることになるこの原体験は、戦後のやなせの思想の土台となった。
1947年に復員したやなせは百貨店・三越の宣伝部に入社し、グラフィックデザイナーとして働きながら漫画家集団「独立漫画派」(のち「漫画集団」)に参加し、雑誌に漫画や挿絵を投稿する下積み時代を送る。1949年、編集者だった小松暢と結婚。1953年頃にフリーとなり、放送作家・舞台美術・作詞など幅広い仕事をこなしたが、劇画全盛の時代の中で漫画家としては鳴かず飛ばずの日々が続いた。そんな1961年、深夜の仕事場で電気スタンドに手をかざした際、指の間が赤く透けて見えたことをきっかけに、「ぼくらはみんな生きている」で始まる童謡「手のひらを太陽に」の詞が生まれる(作曲:いずみたく)。1969年には小学6年生の音楽教科書に採用され、広く歌い継がれる国民的な歌となった。1973年には詩と絵物語の雑誌『詩とメルヘン』(サンリオ)を創刊して編集長を務め、同年、後のアンパンマンの原型となる絵本『あんぱんまん』も刊行している。
絵本『それいけ!アンパンマン』シリーズをもとにしたテレビアニメが日本テレビ系列で放送を開始したのは1988年10月、やなせが69歳のときだった。当初は「顔をちぎって食べさせる」という設定が一部で批判も受けたが、飢えた者に自らの身を分け与えるヒーロー像は次第に子どもたちの絶大な支持を集め、やなせは70歳を目前にして国民的キャラクターの生みの親となる。1993年に妻・暢を亡くした後の1995年、75歳で自らの戦争体験と半生を綴った自伝『アンパンマンの遺書』(岩波書店)を刊行。2000年から2012年まで社団法人日本漫画家協会の理事長を務め、東日本大震災の被災地支援など社会活動にも力を注いだ。2013年10月13日、心不全のため94歳で死去(進行していた膀胱がんが背景にあったとされる)。出身地の高知県香美市には「香美市立やなせたかし記念館」が、晩年を過ごした東京・麻布十番近くには「アンパンマンミュージアム」が開設され、その作品と思想は今も世代を超えて親しまれている。