プロフィール

100歳を超えてなお診察を続けた内科医。予防医学の普及に努め、「成人病」を「生活習慣病」と呼び改めることを提唱した。晩年まで全国の小学校を訪ね、10歳前後の子どもたちに「いのちとは、君たちが持っている時間である」と語る「いのちの授業」を続けた。

日野原重明は1911年10月4日、山口県に生まれた。1937年に京都帝国大学医学部を卒業し、1943年には同大学から医学博士の学位を受けている。1941年、東京の聖路加国際病院に内科医として入り、以後この病院を生涯の仕事場とした。当時の日本の医療は、病気になった人を治すことに重心があった。日野原が早くから関心を向けたのはその手前、つまり人が病気になる前の暮らしのほうである。健康診断や人間ドックといった予防の仕組みを日本に根づかせようとし、1973年には予防医療と健康教育を目的とする財団法人ライフ・プランニング・センターを設立した。

彼が1970年代から使い始めた「習慣病」という言い方は、当時一般的だった「成人病」が年齢のせいで避けられないものという印象を与えることへの異議だった。年齢ではなく日々の習慣に原因があるのなら、自分で変えられる余地がある——この主張は行政にも受け入れられ、1996年、旧厚生省は「成人病」を「生活習慣病」へと改めた。医師としての人生には、時間の有限さを突きつけられる出来事も二度あった。1970年3月31日、福岡で開かれる学会へ向かう機中でよど号ハイジャック事件に遭遇して人質となり、4月3日に韓国・金浦空港で解放された。のちに彼は、このとき自分のいのちを「与えられたいのち」と感じたと語っている。1995年3月20日の地下鉄サリン事件では、83歳の院長として聖路加国際病院を開放する決断を下し、640人にのぼる被害者を受け入れている。

90歳を目前にしてからの活動のほうがよく知られているかもしれない。2000年9月30日には高齢者が社会に参加し続けることを掲げた「新老人の会」を結成して初代会長となり、2001年12月に刊行した随筆『生きかた上手』(ユーリーグ)は120万部を超えるベストセラーとなった。2005年には文化勲章を受章している。その一方で彼は、白衣のまま全国の小学校へ出かけ、10歳前後の子どもたちに聴診器を配って互いの心音を聴かせ、「いのちとは、君たちが持っている時間である」と語る「いのちの授業」を続けた。2017年7月18日、105歳で世を去るまで現役の医師であり続け、最後まで、与えられた時間の使い方を人に問い続けた人だった。

日野原重明の名言一覧