プロフィール

カトリックの修道女で、岡山のノートルダム清心女子大学を36歳から27年にわたって率いた教育者。9歳のとき二・二六事件で父を目の前で失い、その経験を抱えたまま「置かれた場所で咲く」という生き方を書き続け、85歳で出した『置かれた場所で咲きなさい』は200万部を超えて読まれた。

渡辺和子は1927年2月11日、北海道旭川市に生まれた。父・渡辺錠太郎は当時、旭川に置かれた陸軍第七師団の師団長で、のちに陸軍大将・教育総監にのぼる軍人である。ただ錠太郎は独学で学び続けた読書家としても知られ、家には和書洋書が積み上がっていた。和子は次女として、父に可愛がられて育った。転機は1936年2月26日の未明に訪れる。二・二六事件である。東京・荻窪の自宅を襲った青年将校たちの銃弾に父が倒れるのを、9歳の和子はすぐそばで目撃した。父の死をめぐる怒りや憎しみとどう折り合いをつけるかは、以後の生涯を貫く主題になる。

戦後、和子は東京の聖心女子大学に学び、1951年に卒業。1954年に上智大学大学院の修士課程を終えたのち、1956年、ノートルダムの修道女会に入会した。修道女となった彼女はアメリカへ送られ、ボストンカレッジの大学院で学んで1962年6月に教育学の博士号を取得する。そして翌1963年、36歳という異例の若さで岡山のノートルダム清心女子大学の学長に就任した。初めての土地、初めての役職、頼れる前例もない日々のなかで自信を失いかけていた頃、一人の宣教師から一編の英語の詩を手渡される。そこにあった “Bloom where God has planted you.”(神が植えたところで咲きなさい)という一句が、のちの彼女の代名詞となる考え方の出発点になったと、本人が書き残している。

学長を1990年まで務め、その後は学校法人ノートルダム清心学園の理事長として学園を支え続けた。教壇と経営の現場に立ちながら、渡辺は数多くの随筆を書いた。語り口は平明で、説教くさくならない。「咲きなさい」と言いながら、同時に「どうしても咲けない日がある」と認めてしまうところに、彼女の文章の特徴がある。自分の弱さや不機嫌さ、人に対して「〜してくれない」と不満を募らせる心の動きまで、率直に書いた。2012年、85歳のときに刊行した『置かれた場所で咲きなさい』(幻冬舎)は世代を超えて読まれ、200万部を超えるベストセラーになった。

2016年、長年の教育功労に対して旭日中綬章を受けた。同年12月30日、89歳で世を去った。彼女が遺した言葉は、成功の秘訣でも人生の正解でもない。思いどおりにならない場所に置かれた人に向かって、「そこを自分の場所と決めていい」「今日は咲けなくてもいい」と言い続けたものである。父の死という理不尽を9歳で背負った人が、最後まで人を責める言葉ではなく、人が今日を生き直すための言葉を選び続けたところに、この教育者の芯がある。

渡辺和子の名言一覧