プロフィール

日本統治下の台湾に生まれた実業家・発明家。1958年に世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を、1971年に「カップヌードル」を世に出した日清食品の創業者。度重なる挫折のあと48歳で発明にたどり着いた人生で知られる。

安藤百福(あんどう ももふく)は、1910年(明治43年)3月5日、日本統治下の台湾・朴子(現在の嘉義県朴子市)に生まれた日本の実業家・発明家です。二十代の初めに大阪へ渡り、1933年にはメリヤス卸の商会を興して繊維や食料品の貿易で生計を立て、立命館大学専門学部(夜間)で経済を学びました。しかし第二次世界大戦と戦後の経済混乱のなかで何度も挫折を経験します。1948年(昭和23年)には脱税容疑でGHQに逮捕され巣鴨拘置所に収監(1950年釈放)、さらに1957年(昭和32年)には自ら理事長を務めていた信用組合・大阪華銀が無断の先物取引で破綻し、背任罪に問われて執行猶予付き有罪判決を受け、全財産を失うという二重の試練も味わいました。それでも彼はそれらすべての経験を「重層的な知恵の蓄積」として受け止め、前へ進み続けました。

48歳の1958年(昭和33年)、安藤は大阪府池田市の自宅裏の小屋でひとりの研究を続け、同年8月25日、世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を発売しました。彼が1948年に設立した中交総社(1949年にサンシー殖産株式会社へ改称)は、チキンラーメン発売と同じ1958年12月に「日清食品株式会社」へ改称され、食の工業化という新時代を切り開きます。さらに1971年(昭和46年)、61歳にして「カップヌードル」を開発。食器ごと持ち運ぶという発想は世界の食文化を一変させました。のちに日清食品とJAXAが「カップヌードル」をベースに共同開発した宇宙食ラーメン「スペース・ラム」は、2005年7月、野口聡一飛行士とともにスペースシャトル「ディスカバリー号」で宇宙へ運ばれています。チキンラーメンは「20世紀最大の発明の一つ」として各国の世論調査で高い評価を受けています。

90歳を超えた晩年も安藤は精力的に講演・事業に携わり、「食足世平(食足りて世は平らか)」「転んでもただでは起きるな」という言葉で自身の人生哲学を語り続けました。1999年11月21日には、インスタントラーメン発祥の地である大阪府池田市に「インスタントラーメン発明記念館」が開館し(2017年に「カップヌードルミュージアム 大阪池田」=正式名称「安藤百福発明記念館 大阪池田」へ改称)、その足跡を今に伝えています。2007年1月5日、96歳で逝去。何歳からでも再出発できることを体で証明した安藤の物語は、現代でも多くの人を勇気づけています。