プロフィール

岡本太郎(1911-1996)は神奈川県出身の芸術家。パリ留学でピカソに衝撃を受け、独自の芸術理論「対極主義」を掲げて戦後日本の前衛美術を牽引した。大阪万博『太陽の塔』や『明日の神話』、「芸術は爆発だ」のフレーズで知られる。

岡本太郎(おかもとたろう)は1911年2月26日、神奈川県橘樹郡高津村(現・川崎市高津区)に、漫画家の岡本一平と歌人・小説家の岡本かの子の長男として生まれました。1929年に東京美術学校(現・東京藝術大学)西洋画科に入学しますが、翌1930年、一平の取材活動に同行する形で家族とともに渡仏し、そのままパリに残って約10年を過ごします。パリではソルボンヌ大学で哲学・美学・心理学・民族学を学ぶかたわら、1932年にギャラリーで偶然目にしたパブロ・ピカソの作品に強い衝撃を受け、「ピカソを超える」ことを生涯の目標に掲げて制作に没頭しました。抽象芸術運動やシュルレアリスム運動の渦中に身を置き、ジョルジュ・バタイユらとも交流を持ちます。1940年、ナチス・ドイツのパリ占領を逃れて帰国しますが、まもなく日中戦争・太平洋戦争に応召され、中国戦線での過酷な従軍を経験しました。

終戦後、岡本は花田清輝らと前衛芸術集団「夜の会」を結成し、相反する要素を妥協させず激しくぶつけ合わせることで新たな創造を生み出すとする独自の芸術理論「対極主義」を提唱します。1954年8月5日に光文社から刊行した『今日の芸術―時代を創造するものは誰か』はたちまちベストセラーとなり、「芸術はうまくあってはならない、きれいであってはならない、ここちよくあってはならない」という主張は、戦後日本の美術観に大きな衝撃を与えました。1968年から69年にかけては、メキシコシティで建設中だったホテルの依頼で、核兵器に焼かれる人間群像を描いた縦5.5メートル・横30メートルの大壁画『明日の神話』を制作しますが、ホテル建設が頓挫したため壁画は行方不明となり、2003年にメキシコで発見されるまで34年間所在不明のままでした(修復後の2008年、東京・渋谷駅の連絡通路に恒久設置)。

1970年の日本万国博覧会(大阪万博)では、テーマ館プロデューサーを務めるとともに、「人類の進歩と調和」という公式テーマに真っ向から異議を唱え、縄文土器や仮面に着想を得た高さ約70メートルの巨大な塔『太陽の塔』を制作。今なお万博跡地(大阪府吹田市の万博記念公園)にそびえ立つ日本を代表するモニュメントとなっています。1989年にはフランス芸術文化勲章コマンドゥールを受章。1981年には日立マクセルのテレビCMでピアノを叩きながら叫んだ「芸術は爆発だ」のフレーズが社会現象となり、1986年の新語・流行語大賞「語録賞」を受賞するなど、晩年まで広く大衆に親しまれました。1996年1月7日、パーキンソン病による急性呼吸不全のため東京の病院で死去、84歳でした。長年のアトリエ兼自宅(東京都港区南青山)は現在「岡本太郎記念館」として一般公開され、川崎市には「川崎市岡本太郎美術館」も開館しており、その独創的な芸術と思想は今も多くの人々を惹きつけています。

岡本太郎の名言一覧