プロフィール

緒方貞子(おがた さだこ、1927-2019)は、日本人・女性として初めて国連難民高等弁務官を務めた国際政治学者。湾岸戦争のクルド難民危機や旧ユーゴ紛争、ルワンダ難民危機の現場に立ち続け、後にJICA理事長として「人間の安全保障」の考え方を国際協力の現場に根づかせた。

緒方貞子(おがた さだこ)は、1927年9月16日、東京府東京市麻布区(現・東京都港区)に、外交官・中村豊一とその妻・恒子の長女として生まれた。五・一五事件(1932年)で首相在職中に暗殺された犬養毅は緒方の曽祖父にあたる。父の外交官としての赴任に伴い、幼少期をアメリカ(サンフランシスコ・バークレー)、中国広東省、香港など海外で過ごした。聖心女子大学卒業後、米ジョージタウン大学で修士号、カリフォルニア大学バークレー校で政治学博士号を取得。1974年に国際基督教大学(ICU)準教授(他大学の助教授に相当)、1980年に上智大学教授に就任し、研究者としてのキャリアを重ねる一方、国連総会日本政府代表、ユニセフ(国連児童基金)執行理事会議長、国連人権委員会日本政府代表なども歴任した。

1991年2月、緒方は日本人として、また女性として史上初めて国連難民高等弁務官(UNHCR)に就任した。折しも湾岸戦争でイラク北部のクルド人が大量に国外へ逃れる危機が発生しており、緒方は国境を越えていない国内避難民をも保護対象とする前例のない決断を下し、支援に踏み切った。以後10年におよぶ在任期間中、旧ユーゴスラビア紛争、1994年のルワンダ難民危機、アフガニスタン難民など、冷戦後に相次いだ地域紛争による難民問題の最前線に立ち続け、防弾チョッキを着てヘリコプターで紛争地に入るなど、現場に自ら足を運ぶ姿勢を貫いた。その小柄な体格とは対照的な行動力から、「小さな巨人」と呼ばれるようになった。2000年12月、高等弁務官を退任した。

退任後の2001年、緒方はノーベル経済学賞受賞者アマルティア・センとともに国連「人間の安全保障委員会」の共同議長に就任し、2003年5月、国家中心の安全保障観を超えて一人ひとりの生存・生活・尊厳を守るべきだとする報告書『人間の安全保障の今日的課題(Human Security Now)』をコフィー・アナン国連事務総長に提出した。同年10月には国際協力機構(JICA)の理事長に就任し、2012年3月まで務め、人間の安全保障の考え方を日本の途上国援助の現場に根づかせた。2019年10月22日、92歳で死去。著書に『私の仕事――国連難民高等弁務官の十年と平和の構築』などがあり、現場に身を置き続けたその生き方は、今も国際協力に携わる人々の指針となっている。

緒方貞子の名言一覧