この名言の意味
「石は石でいい、ダイヤはダイヤでいい」という言葉は、一見すると当たり前のことを言っているようで、実は価値の序列そのものを否定する強い主張である。ダイヤの方が石より優れている、という一般的な価値観を持ち込まず、石には石の役割と価値があり、ダイヤにはダイヤの役割と価値がある、と両者を対等に並べて見せている。
この言葉の眼目は、後半の「監督者は、部下の得意なものを早くつかんで、伸ばしてやる」にある。個性を認めるだけで終わらせず、それを見極めて活かす側の責任にまで踏み込んでいる点が、単なる励ましの言葉と一線を画す。多様性を称えるだけでなく、それを組織の力に変える具体的な仕組みへと接続しているのである。
学歴を持たず、現場で手を動かしながら独学で技術を磨いた本田自身の歩みそのものが、この言葉の説得力を支えている。型にはまった優等生の道を歩まなかった本田だからこそ、「石」にも「ダイヤ」にも等しく宝としての価値を認める、という言葉に実感がこもっている。
現代への示唆
今日、自分の「苦手」を無理に隠したり、他人と同じようにできないことを気に病んだりするのをやめてみよう。かわりに、自分が石なのかダイヤなのか、つまり自分の得意なことは何かを一つだけ書き出してみる。本田が部下に「適材適所」を配慮したように、まず自分自身に対して適材適所の目を向ける。苦手を克服しようと焦るより、得意な一点に光を当てることから、今日の一歩は始められる。
背景と出典
本田宗一郎自身の著述・語録の一節(初出は1962年の本田技研工業社内報とされ、後年『得手に帆を上げ』などの語録集に収録されたと伝わる)。「一人ひとりが自分の得手不得手を包み隠さずハッキリ表現する。石は石でいいんですよ。ダイヤはダイヤでいいんです。そして、監督者は、部下の得意なものを早くつかんで、伸ばしてやる。適材適所を配慮してやる。そうなりゃ、石もダイヤも本当の宝になるよ」という一連の発言の中の言葉である。学歴によらず自らの手で技術を磨き、世界的自動車メーカーを一代で築いた本田自身が、人材の適材適所を語る中で示した、個性を序列化しない人間観である。