この名言の意味
「危機とか難局というのは、乗り越えるためにある」という言葉は、一見すると楽観的な精神論のようにも聞こえる。しかしこれは根拠のない気休めではなく、湾岸戦争、旧ユーゴ紛争、ルワンダ難民危機と、前例のない危機に立て続けに向き合い続けた実務家としての緒方が到達した、実践的な結論である。危機を「起きてはならないもの」と位置づければ、危機が起きるたびに思考は立ち止まってしまう。一方で「乗り越えるためにあるもの」と位置づければ、危機の発生そのものは前提となり、思考は自然と「どう乗り越えるか」へ進む。
この言葉の力は、危機の存在理由を先回りして定義してしまう点にある。危機が起きてから慌てて意味づけをするのではなく、危機は乗り越えられるべく現れるものだと最初から決めておくことで、実際に危機に直面した瞬間の迷いや停滞を減らすことができる。難民という、人間が経験しうる最も過酷な危機の現場に10年間立ち続けた緒方だからこそ言い得た、実践知としての一言である。
現代への示唆
危機や難局に直面すると、人はまず「なぜこんなことが起きたのか」「早くこの状況が終わってほしい」と考えがちだ。しかし緒方が説くのは、危機を「異常事態」ではなく「乗り越えるために存在する通過点」として最初から織り込んで捉える視点だ。今、自分が抱えている難しい状況を一つ思い浮かべ、「これは避けるべき異常事態」ではなく「乗り越えるべき通過点」だと言い換えてみよう。その言い換えだけで、次に取るべき行動が「耐える」から「動く」に変わるはずだ。
背景と出典
2019年12月11日放送のNHK「クローズアップ現代+」特集『緒方貞子 今を生きるあなたへ』で紹介された、緒方貞子自身の肉声インタビューに基づく言葉で、聞き手を交えた口述回想録『聞き書 緒方貞子回顧録』(野林健・納家政嗣編、岩波現代文庫)にも通じる趣旨で記録されている。湾岸戦争でのクルド難民危機、旧ユーゴ紛争、ルワンダ難民危機など、前例のない事態への対応を次々に迫られたUNHCR高等弁務官としての10年間、緒方は危機のたびに現場へ直接足を運び、既存の規則にとらわれない決断を重ねてきた。その体験の総括として語られた一節である。