この名言の意味
「SF」という三文字は世界共通で「サイエンス・フィクション(空想科学小説)」の略として定着している。藤子・F・不二雄はその常識をあえて踏まえたうえで、自分にとっての「SF」は「サイエンス・フィクション」ではなく「少し・不思議」の頭文字だと言い切った。この言い換えの巧みさは、誰もが知っている略語の型式(大文字二文字)はそのまま借りながら、中身だけをまったく違う言葉に差し替えている点にある。
「少し」という言葉が効いているのは、「不思議」の量を最小限に絞り込んでいるからである。世界そのものが一変するような大事件ではなく、いつもの日常に、ほんのわずかだけ不思議な要素——四次元ポケットから出てくる道具、未来から来た猫型ロボット——が入り込む。だからこそ読者は「もし自分の身の回りにも、あの道具が一つだけあったら」と、現実の延長線上で空想を楽しむことができる。難解な科学理論の説明を必要としない、この「少しの不思議」という定義こそが、子供から大人まで、世代や国境を越えて『ドラえもん』が愛され続けている理由の核心にある。
現代への示唆
「不思議」を大きな非日常に求めがちだが、藤子・F・不二雄が見出したのは、いつもの通学路にひみつ道具が一つ増えるだけで世界が変わる、という「少しの不思議」だった。今日のあなたの生活の中にも、いつもと同じ一日に、たった一つだけ違うことを差し込む余地があるはずだ。いつもと違う道を歩いてみる、話したことのない人に話しかけてみる、後回しにしていた作業を先にやってみる——大きな変化でなくていい。「少し」の不思議を自分の一日に足してみることから、今日を始めてみよう。
背景と出典
この言葉は、藤子・F・不二雄自身が1989年刊行の『藤子不二雄ランド 少年SF短編』第2巻(中央公論社)などで繰り返し語った、自身の作品世界を定義する説明である。『ドラえもん』の連載を開始した1970年前後から、藤本弘(本名)は子供向けの機械や道具が登場する作品と並行して、大人向けの「SF短編」と呼ばれるシリーズも精力的に発表しており、その両方に通底する創作哲学として、このSF=「少し・不思議」という言葉を用いた。一般的な「サイエンス・フィクション」が科学的な理論や設定の緻密さを重視するのに対し、藤子・F・不二雄が描いたのは、あくまで日常生活の延長線上にある、ほんの少しだけ現実からずれた出来事だった。